桜丘高校サッカー部とは


 

沿革にかえて

 

 

創部は1966年・・・

 

OBからの手紙

 ~桜丘高校サッカー部の歩みを知る~

 

 

『創世期の桜高サッカー部』

1968年卒業 大原 実 氏

 私が入学した時(1965年)は、サッカー部は無く、その年の二学期に1級上の先輩らが同好会を作りました。私や同期も仲間に入れてもらいましたが、当時はいきなり部にはなれませんでした。顧問を先生にお願いし、1年間実績を作った翌年、部に昇格しました。その時の年間予算は、2万円でした。野球部は13万円位だと思います。グランドは野球部が優先でしたので自分や1級下後輩らに頼んで昼休みや授業中に保土ヶ谷公園事務所に行って2週間位まとめてサッカー場を使用する申込みをしました。当時は2時間200円位だったと思います。それ以外はサッカー場に隣接しているサブトラック等、無料である空き地を探し練習をしました。3年の時、南高校との定期戦にサッカー部も始めて参加し、保土ヶ谷サッカー場において00の引き分けでした。

今年の18日、桜高のグランドでOBと一緒にボールを蹴り、なつかしく、また楽しかったです。私は今も五期下の後輩と一緒に県群市五十雀リーグでサッカーをしています。サッカーは同じ年代の人とプレーすれば年老いてもそれなりに楽しくできます。現役の皆さんも一生懸命がんばって練習し、楽しく試合に挑んでください。期待しています。(部報20077月号 より抜粋)

 

思い出のイチョウ並木

1994年卒業 塩野 圭太 氏

(現 神奈川新聞 記者)

 

縁あって新聞社のサッカー担当に就き、年に何度か保土ヶ谷公園を訪れる。今年はインターハイ予選決勝の舞台にもなるが、現役当時は改修前。申し訳程度に雑草の生えた凸凹のピッチだった。

 もっとも、僕らの思い出はバス通りを星川方面へ下った、イチョウ並木の坂道にある。入部直後、先輩に導かれるまま歩いて下ったのだが、待っていたのは約200メートルの上り坂ダッシュの連続。通称「ロング」と呼ばれる名物練習だった。

ある種のしごきかと恨んだし、嘔吐する同級生もいた。ただ、当時は練習の面倒を見る指導者もいなければ、放課後の校庭使用は週2回のみ。環境面のハンディを補おうとする先輩なりの工夫だったのだろう。3年で主将になると即刻廃止したが、これが選手権の初戦敗退につながったと今も悔いる。

余談だが、神奈川新聞は選手権の2次予選出場全校を写真入りで特集しているが、久しく母校の名前を見ない。今秋こそはと期待している。(部報20087月号 より抜粋)